西川盛朗氏【前編】

西川盛朗先生×酒井英之

ファミリービジネスの経営と継承、そして次世代経営者を育成する、ヨコハマコンサルティング株式会社の代表、西川盛朗氏。同族経営として世界のトップといわれるジョンソン株式会社では、初の日本法人として社長、会長などを歴任されました。20~30代の頃は現場で組合活動やクラブ活動にも携わり、誰もが知る「カビキラー」「テンプル」の開発は大ヒットに繋がりました。 そんな西川先生に、同族経営でしかできないこと、各国で学んだ同族経営ならではの魅力を伺うとともに、それらを日本風にアレンジすることで、日本の経済が動かせるというお話をお聞きしました。

同族経営の「ジョンソン」での経験から起業

酒井:
今回は先生の地元、横浜にやってきました。いつ来ても、古さと新しさを併せ持つ、魅力あふれる街だと感じます。

西川:
Welcome to Yokohama!
この辺りは最近大手企業の本社や外資の日本支社が集まり始め、又7年連続「住みたい街」に選ばれているんです。いい人が集まっているのではと、採用面から移転する企業も多いと聞いています。

酒井:
先生が務めていらしたジョンソンも横浜が本社ですね。

西川:
私は愛知県出身なのですが、こちらにきて27年と、人生で一番長く住んでいる街になりました。

酒井:
私、ジョンソンが神奈川の大磯にあるころ工場を見学させていただいたことがあります。90年代の半ばくらいでしたが。

西川:
工場は、五重塔を模した本社と、最新の設備を備えていましたね。工場からの排水を貯めた池で鯉を飼っていて、それが元気に泳いでいるので「環境にいいですよ」というアピールも兼ねていたんですよ。近くにある相模湾に排水を流しても大丈夫というのが、新しい時代の工場のコンセプトでした。
本社はガラス張りのスタイリッシュなデザインで、いろいろな建築賞をいただきました。

酒井:
そうでした。環境保全の分野で先端を行っているな、と強く印象に残っています。

ところで先生は、同族経営、いわゆるファミリービジネス専門のコンサルタントとしてパイオニアだったのではないでしょうか?

実は私、そういう専門分野があるということを、先生の著書『長く繁栄する同族企業の条件』を読むまで知りませんでした。
そして、それを読んでから、この分野を仕事にしなきゃいけない、積極的にスキルを磨き、同族企業のお役に立ちたいと思ったんです。そこで協会の勉強会に参加させてもらいました。

西川:
私はジョンソンに40年在籍したのですが、その日本法人の会長を退任した時に、たくさんのご相談をいただいたんです。
そのほとんどがファミリービジネスのオーナーさんからだったんですね。

ジョンソンは1886年の創業で138年目。同族企業として5代目が経営の中心になっています。
本当にグローバルに活動していて、日本でも知られている家庭用洗剤などをはじめ、業務用アイテム、レジャーや銀行と多角的に業務を広げていました。
同族経営に長く務めた経験が、ファミリービジネスのオーナーさんに役立つのではないかと思ったんです。

ファミリービジネス経営に活かせると感じた、5つの経験

酒井:
具体的にはどんな経験が役に立ったのでしょうか。

西川:
役に立った経験は全部で5つあります。

1つ目の経験は、戦略立案の場所に長くいたことです。
いわゆるBtoCとして消費者向けの企画を20年、その後はBtoB、企業向けの企画を20年。主にマーケティングやマネジメントをやってきました。

2つ目の経験は、100周年を迎えた際、創業の理念を、現代および次世代の社員にわかるように伝える経営理念策定委員を経験したことです。
これはとても幸運なことで、私は副委員長を命じられました。「This We Believe」は創業の精神そのものなのですが、100年経った時、これを多くの国の支店の社員にもわかりやすく伝える必要があると、1年かけて全社員と対話をしながらまとめていったんです。

創業者の「企業を存続させる唯一のものは、人々の信頼であり他はすべて影にすぎない」という言葉。
その視点に立ってジョンソンは「①社員にどうするか」「②消費者やユーザーにどうするか」「③社会に対してどうするか」「④地域社会に対してどうするか」「⑤国際社会にどうするか」を考えました。ジョンソンはどうやって臨むのかを明らかにし、各国の方にわかりやすく伝えなければならない。

そして明確にわかりやすい言葉でまとめた「This We Believe」という名称を未だに守っています。
今考えると、グローバル企業であるにも拘わらず、最初に「社員のため」を持ってきたのはユニークだったと思います。

酒井:
確かに。「お客様」ではないんですね。

西川:
その会社の姿勢を伝えるのは社員なので、最も身近な社員に対して手厚いケアをする。そしてその輪を広げることが大事というのが理念です。

酒井:
今でこそステイクホルダーという考え方がありますが、40年前に社員を一番に考え、未だに大事にしているのは斬新ですよね。

西川:
はい。この1年間の経験が大いに役立ちましたね。

西川:
さらに3つ目の経験として、労組の委員長を務めたことも大きかったです。正確には「ジョンソン共栄会」というのですが、労働条件などの決まり事は私と社長の印鑑がないと決まらない。当時は本社が東京の東麻布に、工場と研究所は大阪の三国にあったのですが、それを大磯に統合しようというタイミングでした。

すると、大阪や東京から来るスタッフ、そして地元から入社する人…と混在するので、文化を方向付けしなくてはならない。例えば食堂のうどんのつゆの味ひとつ取っても「違うぞ!」となり、給食委員会ではケンカになってしまう。

酒井:
東と西と地元では文化が異なるでしょうからね。特に食べ物は合わせることが難しい。それでどうされたんです?

西川:
文化を融合するために社員の親睦を促進する為に18のクラブを作ったんです。ゴルフとか合気道とか…そのほとんどに私は参加しました。華道だけは入らなかったかな(笑)。

自ら参加することでもり立てて、そこから地域社会に広げていった感じです。
大磯はもともと海辺の静かな町なので、外資系、しかもケミカルの会社が来るということは大変な刺激だったと思うんです。地域の方に理解していただかないと存続できません。
そこで、お子さん向けの無料映画大会や、住民の方に参加していただく英会話教室など、労組の委員長として社長や人事部長と話しながらやってきました。

酒井:
もしかして、組合活動は専従ではなくて兼任だったのでしょうか?

西川:
ええ。ですから自分を鍛えるのにとても役立ったと思います。

4つ目の経験が、成長の機会としてイギリスにマーケティングの勉強に行けたことです。当時ジョンソンから派遣され、修行してきました。
又、アメリカ本社が主催した「将来会社の幹部となる候補生を鍛えるための経営幹部養成講座」にも参加し、マネジメントを徹底的に学びました。
帰ってきたら仕事をして、また行っての繰り返しです。どんなにハードでも「休んでいいよ」とは絶対言われない(苦笑)。各国の経営幹部と共に学び、成長の機会をもらいましたね。

酒井:
それは、おいくつくらいの時ですか?

西川:
27歳~32歳くらいの4~5年間ですね。
さまざまの経験を経た後に、日本の法人の社長、会長と進み、アメリカのグローバル本社の役員を兼務しました。これが5つ目の経験になりました。

日本企業とグローバル企業の経営に携わり、戦略立案、経営理念の策定、労組委員長、学習機会等の成長の機会をいただき、結果的に会社経営、ファミリービジネスに携わるようになったのが、私がコンサルになった経緯、そしてその後の引き出しに繋がったと思います。

どんな企業も、挑戦し、悩んでいます。「売上げ」はもちろん、「経営者一族間でもめている」「社員と上手くいかない」「商品が売れない」「既存の事業をどうしたらいいかわからない」…。
あらゆるお悩みの根底を理解できないと助言できないので、これらの経験全てが糧になりました。

酒井:
まさにおっしゃる通りです。
私たちコンサルタントは引き出しの多さが勝負ですが、5つの経験はすごいですね。まさか労組の委員長も経験されたとは驚きです。

先生は、理念策定を委員会でおやりになり、本業では戦略マーケティングをされてきたわけです。さらに、人が働きやすい環境を整え、人が育つ仕組みがあることの大切さを身をもって体験されてきました。さらにグローバル経営も経験されている。
私には、労組とグローバル企業でのトップ経験はありません。本当にすごいです。

西川:
様々な経験を20代後半から積ませて頂きましたが、当時は必死でした。
とはいえ、経験させてもらったことがとても有難く、恵まれていたなと思いますね。

日本における、ファミリービジネスの認識の質に愕然

西川:
20年前に起業した際、経験だけで大丈夫かなと思う気持ちがあったので、本や参考資料でも勉強しようと思ったんです。八重洲ブックセンターや丸善、amazon…と、片っ端から調べました。ところが、いざファミリービジネスに関する本を読んでみると、大半が相続税の話ばかり。つまり川下の話、どのように合法的に処分するか」ばかりで「その発端となる川上にある問題はどう着手するのか?」についての見解がなく、大きな疑問を持ちました。

それで、「もしかしたら日本には、ファミリービジネスの課題に的確に助言できる参考資料がないでのはないか?」と判断し「それなら自分で出してしまえ」と200万円を投じて自費出版したんです。
それが『勝ち続ける同族企業の条件』という本で、自分のクライアントさんに指導する時の教科書として使っていました。

するとその後、それを大手の出版社である日本経営合理化協会さんが見つけてくださり「こういう方を探していたんです!」とアプローチを受け、「ぜひわが社から出版して欲しい!」とのオファーをいただいて、世に出したのが『長く繁栄する同族企業の条件』です。

酒井:
冒頭で、私の愛読書としてご紹介した本ですね。

西川:
有難いことに、出版と同時に全国で講演やセミナー、さらに経営塾などでもお話をさせてもらい、今に至ります。

こうした活動の中で、日本のファミリービジネスに関しては「適切な方法がわかっていない」「一般的な経営と同じことをやっている」ということが特徴だと感じました。
だからこそ、ファミリービジネスへの助言、コンサルタントは今後、日本で必要になるになる、それが今日に至るまで続けてこられた原動力のように思います。

世界でも日本でも、経済の中心はファミリービジネス

酒井:
ところで、先生がファミリービジネスのアドバイザーを増やすため、日本ファミリービジネスアドバイザー協会(FBAA)を創設されたのはどんなきっかけがあったのですか?

西川:
コンサル会社を興し、多くの方と直接、あるいは間接的にお話ししてきたのですが「実際にこれだけでいいのか?」「世界にはもっと進んだ組織や協会があるのでは?」と思ったんです。

そこで調べてみたところ、アメリカで全世界を対象としたファミリービジネスのアドバイザー団体である「FFI」がありました。当時2,000名の会員数を誇っていました。
どんなことをする協会か知りたかったですし、FFIに資格認定講座があったので受けてみたいと、ニューヨークの総会に出たんです。そして申し込みをして資格を取りました。

この大会では、後にFBAAを一緒に起ち上げる武井さんと馬場さんにお会いしました。

酒井:
お二方はすでにFFIに所属されていたのですか?

西川:
武井さんは少し前に受けていましたね。馬場さんは総会に参加する事が目的でしたが、NYでそのままお別れしては勿体ないので、東京で情報交換をしませんか? という運びになりました。

そこで、この研究をされていた日本大学の階戸教授にもお声がけし、4人で2012年の10月に東京で初めてFBAAの総会を開きました。
その後2013年からファミリービジネスの資格認定講座を開始し、通算263名が資格認定を受けました。

資格認定者は九州、大阪、名古屋…と広がり、各地で有資格者同士の情報交換会や勉強会が自然発生的に立ち上がり、盛り上がっている状況です。

酒井:
私もその一人です。講座に通っていた時は、意識の高い大勢の仲間と一緒に学ぶことができて、人生の転機になりました。また、卒業後様々なOBや現役生と交流する中でも、多くの刺激を頂いています。

西川:
ファミリービジネスに対する社会の認識はまだまだ低いんです。「古い」とか「スキャンダルの温床」とか、人によっては「いずれは家族から離れて上場したい」など。
僕から見れば勿体ない話ですし、ファミリービジネスを誇りに思って欲しいですね。これらがFBAAを作るきっかけであり、活動の根本になっています。

酒井:
日本においては大企業の半数以上がファミリービジネスですから、イメージは良くないとはいえ、経済発展には欠かせないと思います。

西川:
私は、世界でも日本でも、ファミリービジネスが経済の中心だと思っています。
企業の数からいえば、世界の約7割がファミリービジネス。経済も雇用も多くの部分をファミリービジネスが占めています。

規模が小さくて遅れた経営形態だと思われがちですが、それは違います。事実、各分野において世界の№1企業はほぼファミリービジネスですからね。
例えばウォールマートは企業として世界最大の売り上げ68兆円を動かしています。また、世界最大の穀物企業、カーギルは2つの家が経営するファミリービジネスです。非上場で、育成農業や気象調査のために、全世界で最も多くの人工衛星を飛ばしている会社です。

日本でもイオン、トヨタにサントリー、キッコーマン、竹中工務店など枚挙に暇がありません。世界を動かしている企業の多くがファミリービジネス。「経営形態が遅れている」という認識は大きな間違いで、世界でも日本でもむしろメインストリームです。前述のように、雇用や社会の発展などにも、いろいろ貢献しているのですから。

酒井:
では、こうした誤解を解いた上で、さらに伸ばしていくための課題とは、どんなものがあるのでしょうか?

後編へつづく‥‥。