遠藤紀夫氏
遠藤紀夫先生×酒井英之
「経営の神様」の考え方や生き方を
伝える、エバンジェリスト
日本人であれば誰もが知るであろう、パナソニックグループおよびPHP研究所の創設者、松下幸之助。「経営の神様」と称される哲学は、仕事はもちろん、生き方にも大きな影響を及ぼすものばかりです。そして松下翁生誕100年にあたる1992年(令和6年)に、当公益財団法人の活動の一環として京都に開設された「松下資料館」。今回は「松下記念館」にて、2023年(令和5)年まで館長として、国内外の来訪者に松下幸之助の精神を伝え続けた遠藤紀夫先生に、館長までの道のりと、伝道師としての活動、そして松下幸之助の側で学んだ経験やエピソードなどを伺いました。
資料館を訪れると、誰もが松下幸之助のファンに
酒井:
遠藤紀夫先生は長年松下幸之助翁が設立したPHP研究所で働かれて、つい先ごろ迄は松下哲学を紹介する松下資料館の館長、現在は同資料館の顧問として活躍されています。そして幸之助翁の考え方や生き方の伝道師として、幸之助翁に学びたい多くの皆様に影響を与えていらっしゃいます。 遠藤先生にとって、幸之助翁はどんな存在だったのでしょうか。
遠藤:
経営者にとって幸之助は神様といわれています。日本で「神様」と言われる人は少ないのではないでしょうか。
NHK Eテレ「100分で名著」で松下幸之助の著書が紹介されましたが、改めて幸之助の物の見方・考え方はすごいということに気づかれた方がたくさんいらっしゃったと思います。 その伝道師…といえばおこがましいですが、どういう方で、どういう考え方で、どういう経営をして、どういう環境の時に、それらを参考にすればいいかを、私なりに研究・整理をしてきました。
酒井:
稲盛さんは経営の根幹にある考え方を、『フィロソフィー』や『人生・経営の結果の方程式』などの形で体系化されているので、受け止めやすいといわれています。
が、幸之助翁の場合、著書は多いのですが内容が広くかつ深いために「これさえ読めばいい」「これさえ理解すればいい」といった簡単なことではないような気がします。ですから、松下幸之助を学ぶには、どうしても遠藤先生のような伝道師が必要なのだと思います。
遠藤:
実は、「松下幸之助は古い」って言われる人がたくさんいるんですよ。
以前ある大学の教授が、30人ほどのゼミの学生さんを連れて松下資料館に来てくださいました。来館前に、松下幸之助を知っているかどうかを学生に聞いたそうですが、なんと知っている人が、1人もいなかったそうです。また、地元京都の有名大学のインターンシップの集まりでも、知っていた学生さんはたったの2人。しかもその理由が、お父様が松下電器にお勤めだったという…。
ですから、学生などの若い人は知らないですし、若い経営者も「松下の考え方はもう古い」なんていう人が少なからずいます。
酒井:
それはびっくりですね…。
遠藤:
とはいえ、若い人が松下幸之助の考え方を知ると「ああ、今でも通用するんですね!」なんて逆に言われて。
世代的に古いから「学ぶことはない」と思っている人が多いのですが、知った途端にファンになってくれる若い人が続出しています。ですからゼミやインターンシップで松下資料館に来てくれた学生の中には、卒業論文に松下幸之助を選ぶ人がけっこういるんです。それで「論文書いたんでチェックしてください」って私のところに依頼があったりします。
酒井:
遠藤先生になんてことを…(苦笑)。
遠藤:
来館されて学習された学生は「人生観が変わった」とよく言いますね。「なぜ今まで知らなかったのかな」と。
だからこそ、私の立場としては、どうやって伝えていくのか、ハードルを下げて今までやってきました。「時代が古い」というだけで学ぼうとしていないだけなんですよね。
酒井:
確かに、伝記みたいな書物を見ても「丁稚奉公」とか「アタッチメントプラグ」とか、もう今はないようなワードが出てきますからね。
遠藤:
最近、若い外国人の経営者も大勢いらっしゃいます。
Panasonicは海外でも知られているので「学べる場所があるらしいよ」と口伝えで松下資料館に来てくれます。大学院でMBAなどを取得した方が多いですね。スタートアップの起業家や、親の後を継ぐ二世などです。
ある時、北京大学の先生がMBAを取得した社会人大学生を連れて来られました。MBAは経営学ですが、それを学びさえすれば成功するかというとそんなことはありません。「どういう考え方で学んだ知識を活かすか」となった時に、松下資料館はうってつけだとおっしゃっていただきました。
「考え方+知識+実践」で経営をしていくことの重要性の意味を語る。「自信をもって、松下幸之助の考え方を伝えよう」。そういう思いでやってきました。
酒井:
松下資料館は、まさに日本の資産、いや、世界の資産だと思います。
では改めて産業遺産としても名高い松下資料館の概要を教えてください。
業種・規模を問わず、学びたい人が多数来館
遠藤:
松下資料館は、松下幸之助生誕100周年を記念して、1994年に設立されました。
創設者は奥様の松下むめのさんで、「後世の方に幸之助の考え方を伝えてほしい」と、松下家の資産の中から25億円を出資していただきました。現在の理事長は、お二人の孫にあたる松下正幸が勤めています。
正式名称は「公益財団法人松下社会科学振興財団」といいます。事業としては①松下資料館の運営、②研究事業、③経営図書館事業の3つで成り立っています。
酒井:
私も何度か伺っていますが、年間に何人の方がいらっしゃるのですか?
遠藤:
平均して約8,000人にお越しいただいていますが、最近は増加傾向にあります。おおよそ3分の2以上の人は「展示見学+講話の受講」というパターンでの来場です。
個人での見学は自由ですが、講話の受講は「1グループ5人以上」の予約制なので、現在は講話をお受けできるキャパシティがギリギリの状況にあります。
酒井:
この講話、今までは遠藤先生がほとんどお一人でやってこられたのですから驚きです。
しかも、テーマの数が実に多い。一生かかっても聴けないくらいではないでしょうか。
遠藤:
はい、参加者様のご希望のオリジナルテーマもありますから、正直言って大変ですね。
講話の受講者は経営者が多いのですが、幹部や管理職、中堅社員、新入社員…どんどん繋がりが出てきてますし、教育委員会も多いんですよ。校長先生もよく来られますし、それが広まって教職員にまで繋がっています。また、労働組合や商工会、JAさんなどの団体もよく来館されます。
意外なところではお寺さん。
実はお寺って経営が厳しくなってきているらしいのです。ですから住職さんや「奥さんの会」といったグループで来られるケースもあります。
皆さん厳しい社会の荒波の中で仕事をしていらっしゃるので、松下幸之助の生きた経営を学ぼうとしているのだと思います。
酒井:
立場を問わず、未来のために学ぼうとされている前向きな方が多いのですね。
が、毎回聴き手がわかるような松下幸之助に関するエピソードを選び、伝え方をしなくてはいけないのは大変ではないですか?
遠藤:
松下幸之助が語ってきた内容は、経営・仕事・人生・政治・社会等の広範囲に及びますので、どのような方がいらしても、だいたいご希望にそえる講話ができます。
実は、「松下幸之助発言集 全45巻」(PHP研究所刊)という全集があります。松下幸之助が社内外で語っているものを録音してあって、昔のものはオープンリールなんですが、3000本以上あるでしょうか。それを活字にして全集にしているんです。
全部はもちろん覚えきれないのですが、「治に居て乱を忘れず」とか「衆知を集める」など、キーワード検索ができるので、そこから私がピックアップして講話を組み立てたりしています。
ミーハー心からの入社が、大きな学びと現在の礎に
酒井:
遠藤先生は、大学を出られてPHP研究所に就職されて、映像制作や教育教材の企画・制作をされる担当になられたのですね。
遠藤:
PHP研究所に入った動機は「出版社に入れば有名人に会えるかも!」というかなりミーハーな理由からでした(笑)。
遠藤:
もちろん松下幸之助が社長であることは知っていましたが、導入教育の時に私を含めた10人の新入社員と、松下幸之助社長は2時間懇談会をしてくれたんです。このとき「実際、PHPの活動に本腰を入れておられる方なんだな」と実感しました。
その懇談会で幸之助社長は、私たち1人ひとりに質問するんです。「なんでPHPに入ったんだ? なにを勉強してきたんだ?」など。そして、関心を持つとどんどん突っ込んで質問してくるのです。全員に一通り聴くと、今度は「君らから質問はないかな」と尋ねられました。
私は緊張して手を上げなかったのですが、同期の一人が「素直な心になれないのですが、どうしたらなれるでしょうか」と尋ねました。
すると幸之助が「いい質問だね。私は君たちに質問をしてきたが、君の質問は今日一番いいな」と。
でも「今日は教えない」というのです。私たちは驚いて「なぜですか?」と訊ねると「君、『素直な心になるために』という本を私が書いているからそれを読みなさい」と(笑)
酒井:
なんとも、幸之助翁の個性的というか、お茶目な一面が感じられますね。
遠藤:
そうやって、初めての時は2時間くらい話しました。
松下社長が来社されるときは、よく若い社員は玄関でお出迎えしていました。が、松下幸之助は若い頃から身体が弱かったですからね。秘書が「途中で引き返されました」という日もありました。
でも、身体が弱かったことが、成功のひとつの要因になっているんですよね。
酒井:
その話は、幸之助翁の話では必ず出てきますね。
遠藤:
はい。身体が弱くて自分でできることに限界があったから、人のチカラを借りるしかないということです。
だから「任せる経営」ができたからこそ成功できた。
幸之助は、身体が弱いことをプラスに変えることができたのです。
もうひとつ幸之助は、小学校を4年で中退して丁稚奉公に出ました。教育を受けてこなかったから、わかないこと・できないことを、人に訊かざるを得ない。
「わからないから、みんなに訊いた。皆が教えてくれた、協力してくれた。だから成功した」というとらえ方が、幸之助の経営の一つの要素でもあります。
酒井:
普通は、人に自分の弱みを隠したくなるものですが、隠さなかった。
身体が弱いから任せる、学がなかったから人に教えを請い、素直に訊く。
いわゆる「陽転思考」という逆転の発想が、次第に身に付いていったんでしょうね。
遠藤:
よくコーチングで「基本は傾聴と質問」といわれますが、これは幸之助の生き方そのものだと思います。この考え方が基本でしたし、今の時代に繋がる考え方だと思います。
酒井:
相手をありのままに見て理解して、決めつけない。
基本のところをしっかり抑えた方なんですよね。しかもそれはどんな人にも伝えられること。根底には信じるという気持ちがあり、任せられるということなんでしょうね。
遠藤:
PHP研究所時代、幸之助の話を本人から直接聞けたのはよかったと思います。私の大学で松下電器産業に就職した同期生は、会社の規模が大きいからでしょうか、幸之助の話を直接聞く機会はなかったそうですから。
また、PHP研究所の所員を集めて何度か話をしてくれていましたので、松下政経塾について開塾の前年から知っていました。「世界の流れはアジアに移っていくから、日本はとても重要な国になる。それにはリーダーを育てないといけないが、PHPの考え方を元に、世界をリードする人材を作らなくてはいけないと」と言われていましたね。
酒井:
40年以上続く松下政経塾から国会議員や首長、NPO法人や民間企業の経営者など、多くのリーダーが誕生しています。この国に果たした役割は大きいですね。
「私心を持たない」「素直な心」とは?
酒井:
ところで、幸之助翁のエピソードとして、今の経営者に伝えたいことをいろいろ教えていただけますか?
遠藤:
まずは「私心を持たない」でしょうか。
「経営者自身が会社をつぶす」という映像が松下資料館にあるんですよ。
幸之助は、たくさんの取引先や知り合いはもちろん、世界中を見てきています。
それで「会社を興す優秀な経営者と会社をつぶす優秀な経営者では、どれだけの違いがあるか」という話をしています。意外と大きくは変わらないと言ってます。
特に「経営者が優秀なら発展するだろう」とみんな思うのですが、ダメにする人もいます。
国を興す人もいれば、ダメにする人もいるのと同じで、その優秀さの違いは紙一重。
「自分のために」というように、私心があると長い目で見ると、会社をつぶしてしまう。
そうならないために「私心」を持たないようにして、経営をすることが大事だと幸之助は言ってます。
企業は公の器であり、社会に役立つために仕事をしています。
この「社会に役立つ公器」という考えを元に努力をしている経営者は、会社を発展させることができる。
でも私心を持っていると、「社会を良くする」という視点を忘れているので会社をダメにします。ですからリーダーは私心を持たないように努力をすることが大事だということです。
酒井:
私心を持たない、というのは滅茶苦茶難しいですね。どうしたら私心を消すことができるのですか?
遠藤:
それには「素直な心が大事」ということです。
素直な心とは、決して「はいはい」と受け身で聞くのではなく、「何が正しいのか」といった物事の本質を見極める心のことです。
しかも本質を見出したら実行しなくてはならないし、もし周りの人が反対しても、迎合せずに貫けるような強い心を持たなくてはいけない。
つまり、リーダーは私心を捨て、素直で聡明な心を持つことが大事なんです。
経営者は、自分の会社の経営理念にもとづいて判断することが一番大事です。経営理念は「社会に役立ち、お客様に喜ばれ、人々の幸せ作りに貢献すること」が書かれているはずです。
いろいろなことが起きたときに、経営理念に立ち返り「理念に合うか、合わないか」を判断すれば、正しくないことを見つけ、社会に役立つ経営が実践できます。
酒井:
そうした判断をするためには、自分を客観視する時間の確保が必要ですね。
遠藤:
幸之助は「自己観照」を朝晩続けていました。朝起きた時、「今日一日素直な心で物事を見たり判断をしていこう」、また夜寝る前に、一日を振り返って「ああ、私心が出ていたな」と反省する。顧みた時に気づけるか気づけないかが、とても大事だと思いますね。
酒井:
私心はゼロにはできないけれど、自己観照することで気づけるんですね。
遠藤:
はい、松下幸之助は粘り強く、一生懸命に自らを律した努力家だと思います。まさに「努力の神様」。
私心をもたないことにひたすら努力してきた人なんです。実際、私心を持っている経営者はことごとくダメになっていますよね。
この「経営者自身が会社をつぶす」という映像は、経営者をはじめとした多くのリーダーに人気で、何度も何度も見に来られる方もいます。例えばJR九州の元社長で七つ星をプロデュースされた唐池恒二さんもその一人です。列車をデザインされた方も連れてこられて「絶対に大事なことだから」とお勧めされていました。
酒井:
そうなんですね。素直な心で自分を見つめ私心をゼロにしていくことは、経営者の永遠のテーマなんですね。
会社ではなく、その地域や国の方のために働く
遠藤:
ところで酒井さん、実は自分の会社をつぶしている経営者って、自分がつぶしていると思っていないんですよ。他責していることに気づいていないんです。松下幸之助は全ての責任はつぶした経営者にあると言ってます。その自覚がない経営者が圧倒的に多いわけです。
酒井:
私は遠藤先生の講話でそのことを教わりました。確かペルーの現地法人の社長が日本に帰ってきたときのエピソードだったと記憶しております。
遠藤:
そうですね。幸之助は共存共栄の経営を大事にしているんですよ。自分だけ儲かればいいのではなく、協力会社さんやお得意様も栄える「共存共栄」を心がけることが基本になければならないのです。
今おっしゃったペルーのお話はまさにそれで、幸之助は部下を海外赴任させるときは、必ず「本社ばかり向いていてはだめ」と言われました。「君はこれからペルーの役に立つ仕事をするんだ。その国の人に喜んでもらうためにそこに行くのだ」と。
ですから、ペルーの責任者が帰国したら真っ先に幸之助は尋ねるのです。「なあ君、ペルーの皆さんに喜んでもらっているのか?」と。
酒井:
このエピソードにはとても驚きました。僕が幸之助翁なら「おい、ペルーの会社の業績はどうだ。儲かっているか?」と訊ねてしまいそうです。
逆に僕が赴任者なら、「昨年からこんなにも業績が伸びました」って業績ばかりを報告するでしょうね。褒めてもらいたいからですが、幸之助翁の関心はそれだけではないんですよね。
もちろんトップとして業績のことも確認するとは思いますが、まずは使命を果たせているかどうか、それが一番の関心事なんでしょう。
遠藤:
以前、地元経済界からの要望があって九州に松下電器を作ったんです。でも、このときは九州では儲からないというのが大方の意見でした。そんな中、幸之助は「そうじゃない。まず九州の方の役立つことを考えていけば、成果は必ず上がる。苦労すると思うけれど君に任せるよ」と、赴任する責任者に言ったのです。
つまりこのときの使命は、九州で儲けることではなく、九州の人たちに喜んでもらい、地域発展のために力を尽くすことだったのです。
結果、九州松下電器は松下電器グループの中で好成績を上げる企業になりました。幸之助は「地域の役に立つ」という使命を言い続けた人です。それは経営理念に直結しています。
酒井:
「結果は後からついてくる」とわかってはいても、人はつい目先の数字ばかりを追いがちですね。
遠藤:
数字といえば、少し話が逸れますが、かつて松下でキャリオカというコーヒーメーカーを製造していたんです。当時はいくつかの外国メーカーが大きなシェアを占めていて、キャリオカは業界4位でした。それを知った幸之助は「なぜ1位じゃないんだ?」と言うのです。
値段の安いコーヒーメーカーが、1位になっても大企業である松下電器にとってたいした売上・利益にはなりません。が、担当責任者に対して「君たちは外国メーカーに市場が占領されていると考えないのか?キャリオカは、日本の素晴らしい製品として広めるのが君たちの使命だ。売上げがたいしたことないからと4位に甘んじていてはいけない」と叱ったのでした。
結果、キャリオカはシェアNo.1製品に育っていきました。要は、業績に対しての考え方も、非常に厳しい見方をしているんですね。シェアが低い云々ではなく「占領されている」という発想がすごい。ですから「誇りに思えるものを作り、社会から認められる製品に育てよ」と厳しく言われたわけです。
それぞれの国に松下電器があり、その国で「役に立つ」という使命を抱え、トップを走ることを目指す。
酒井:
つまり、使命を果たせばトップになりうるということですね。
責任を取ることが、リーダーの条件である
遠藤:
有名な言葉ですが「任せて、任せず」と松下は言ってます。よく質問されるので講話でお伝えするのですが、今の世の中のリーダーは「任せるぞ」と言ったあとにそのまま放りっぱなしにしている人が多いと感じます。
その点、幸之助は「あれはどうなった」と必ず声をかけてくれる。
問題を起こした時も、世の中では部下のせいにするケースが多いのですが、幸之助は報告しなかったことを叱るんです。そして「全ての責任はわし一人にあるのだから報告をきちんとしてくれ」と。
酒井:
責任を取れないリーダーは、その時点でリーダー失格。
遠藤:
はい。その意味のひとつは、「社会の役に立つ、お客様に喜ばれる、幸せに役立つ」という経営理念に基づいているんです。あなたの仕事はなぜ重要なのか、任せる部下に仕事の意義・使命をきちんと伝えている。そして報告に来た部下に対して、また使命について確認する。任された部下は重要な仕事をなぜ自分に任せられているかを、しっかりと腹に収め理解する。これが基本です。こうして経営理念に基づいて仕事をする部下を、たくさん作っていったのです。
そして2点目が「報連相」。節目節目でちゃんと報告してほしい。状況が変わりそうになったらすぐに連絡してくれ。わからなかったり困ったことがあったら一人で抱え込まずに、まず私に相談しなさい。私がどんなに忙しくしていても報連相すべきだと思ったら私の首根っこをつかんででも報連相しなさい。怒らないからと。
逆に報連相をしない部下には叱り飛ばしました。もはや罵倒の域です。ですから部下たちは報連相をきちんとするようになりました。
そして「君はどう思う?」とよく訊いていましたね。その答えた内容が経営理念と合わなかったら、どんどん質問が重なり、経営理念と合致したら「よく考えたね」と褒めてくれます。
部下は、自分で答えたことですから、責任をもってその仕事にあたることができました。
「経営理念にもとづいて部下に任せていましたから、全ての責任は私一人にある」と豪語できたのではないでしょうか。この経営理念は経営者にとっての哲学、社会観、人間観でなくてはいけないんですよね。経営理念は、単に壁に飾ったり、朝礼で唱和するだけのものではないのです。仕事のものさしになるようにしなければならないのです。
酒井:
部下に報連相を求めるのは「経営理念に叶っているのか」を確かめるもので、部下が数字を追う余り忘れていたものを呼び覚ましていたのかもしれませんね。
遠藤:
部下に何度も使命とその実行度合いを確認するということが、松下幸之助の分身を作ることになったんです。こうして直接指導を受けた人たちは「このように教えられたことが、自分にとって良かった」と心底思えるので、さらに自らの部下に「任せて、任せず」をやる。
こうして松下幸之助の分身が各階層で生まれ、新しい工場、新しい営業所、新しいセクションがどんどん作られても、思い切って部下に任せられたので、松下電器が急成長したのだと思います。
酒井:
報連相には、部下と理念を共有し、自分の分身を育てる目的があったのですね。
遠藤:
リーダーは部下から「こうしたらどうですか」と言ってくるような風通しのいい職場をつくることが大事だ、というのも幸之助の考えでした。
優秀なリーダーほど「こうしろ、ああしろ」と命令しがちなのですが、命令ばかりしていると、部下たちは言われたとおりにしなくてはという雰囲気が職場に生まれて創造性が失われやすくなります。職場全員が意見・提案が言いやすい職場作りをすれば知恵が出てくるようになる。だから、リーダーは風通しのいい職場をつくることが大事、と松下幸之助は言っていたわけです。
酒井:
知恵が生まれる職場づくりの大切さに、幸之助翁は気づいていたのですね。
遠藤:
こういう話もあります。業績が良くないリーダーに対して、「部下から意見・提案が出るようにしているか」と訊いたそうです。「部下に提案をするようにと言ったのですが出てこない」とリーダーが言ったので、「君は朝起きたら、まず鏡で自分の顔を見て、部下が意見・提案が言いやすい表情をしているかをチェックしなさい」と指示をしたそうです。リーダーが鏡で自分の顔を見てみたら、鬼瓦のようだったそうです。
顔が恐い人に恐ろしくて意見なんて言えないですよね。このリーダーは、部下が意見・提案を言いやすい表情になるよう、毎朝鏡を見て努力したということです。リーダーはそれくらい配慮しなければいけないという幸之助の教えだったようです。
もちろん、部下からはダメな意見・提案がけっこう出てくることもあると思うんです。でもリーダーは「ダメ」という言葉を使うのは御法度。幸之助はそんな時「よく気づいたな、よく考えたな、よくまとめたな」と、意見・提案を言うという行為を褒めなさいと言ってました。部下は自分の言ったことが採用されなくても、褒められたという気持ちがありますから、「また言おう」となります。
酒井:
最近、否定をしてはいけないとか、不機嫌は罪であるとも言われますが、否定ばかりしたり、不機嫌になると、改善や提案も出てこなくなりますよね。遠藤先生にも印象に残っているエピソードはありますか?
遠藤:
私の講話を聞き「不機嫌をやめました」と言われた方が何人かいらっしゃいました。
今まで不機嫌だったことに気づかれたようです。リーダーは業績や数字に必死なので、部下を萎縮させていることに気づかないんですよね。でもそれではいけない。
幸之助も神様とは言われますが人間ですから、業績厳しい時などはPHP研究所の研究部長との会話の中で、「常々幹部には長所を見ることの大切さを言い続けてきたけれど、今は幹部の欠点しか見えてこない」と反省されていたというエピソードを聞いたことがありました。
酒井:
幸之助翁のそういう一面を知ると、なんだか自分が許されたようでホッとします。その上で「自分も改めよう」という気にさせてくれるのが、遠藤先生の講話の魅力ですね。
大好きな阪神と、人生の師とともに関西を応援
酒井:
ところで改めて先生のご趣味は? お休みの日にはどんなことをされているんですか?
遠藤:
私は長年、阪神タイガースの応援をしています。
小学校の5年生くらいの時でしょうか、近所でサイン会があり、当時有名だった村山実投手が来られたんです。その時握手してもらったのですが、グローブみたいな大きな手で、実に感動してそこから阪神ファン一筋。
岡田・掛布の黄金期が彼らが30歳頃の時でしたが、今、近本選手など有力選手たちは24~28歳で、伸びしろがいっぱいなので楽しみです。
タイガースが強いと日本が強いんです。なぜなら多くのタイガースファンがグッズをよく買いますが、私もユニフォーム・タオル・傘・サインボールにバッド…たくさん持ってますよ。
甲子園に行く時はあえて外野席を選ぶこともあります。ヒットなんか出ると知らないおじさんと肩組んだりハイタッチしたり。観戦でなくて参戦しに行くのです。昔、応援団でラッパを吹いていた方は、ナショナルの販売店の社長さん。仕事熱心、応援熱心の熱血社長、それがまたいいんですよ(笑)。
酒井:
若い選手が多いタイガース。しばらく黄金期が続きそうで楽しみですね。
ところで、館長を譲られて、今後はどんな活動をしていく予定ですか?
遠藤:
基本は松下幸之助の伝道師として、これからも活動していきたいですね。
何度も何度も講話をしてきましたが、今一度、松下幸之助の業績や哲学を調べ直しながら整理しようとしています。やってみると、気づかなかったことや忘れていることが意外と多く、「ああ、忘れていたなあ」とか「どうしてこのことを言ってこなかったんだろう」と反省することがあります。
パナソニックの歴史文化コミュニケーション室やPHP研究所研究部にはたくさんの松下幸之助に関する資料があり、そうした資料を調べて皆さんにご紹介したいです。
酒井:
来年は大阪で万博もありますから、同じ関西にある松下資料館は、各国の経営者から注目を集めるでしょうね。とてもわかりやすく、親しみやすい存在ですから。
あまり知られていないような秘話も、ぜひこれからも聞かせてください。
私もまた、もっともっと幸之助翁に学びたい経営者を連れておじゃまします。本日は誠にありがとうございました。
プロフィール
遠藤 紀夫(えんどう のりお)
公益財団法人 松下社会科学振興財団 松下資料館、元館長
1953年、北海道生まれ。大阪府立大学経済学部卒業後、株式会社PHP 研究所に入社。『PHP』誌や書籍の普及、映像ソフトの企画・制作などに携わる。その後、企業向け教材の企画制作部長を経て、2011年(平成23年)、松下資料館館長に就任。翌々年の2013年(平成25年)には、公益財団法人 松下社会科学振興財団専務理事に就任。
映像『松下幸之助 創業者グラフィティ』をはじめ、長年にわたり映像ソフトや教材の制作を通して松下幸之助の哲学に大きく影響を受ける。PHP研究所時代に、直接松下幸之助と話す場面が多々あり、こうした実体験を踏まえながら経営理念を伝授。 2023年(令和5年)、同館を退任。現在も各地で、伝道師としての活動を続行中。