vol.501「MRJを題材に考える『失敗』の活かし方」

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 1回3分「ヘコタレをチカラに」 vol.501

          by V字経営研究所 代表 酒井英之

 

「MRJを題材に考える『失敗』の活かし方」

 

先月の話ですが、2023年2月7日、
スペースジェット(旧MRJ)の開発中止が決定しましたね。

 

2020年10月から凍結状態だったので今更ですが、
「中止」と聞くと、喪失感があります。

 

というもの、東海地区のこのプロジェクトへの期待が
半端なく大きかったからです。
東海地区はわが国航空機部品生産額の50%が集結する産地です。
私のお客様の中にも、航空機分野に参入するビジョンを
描いた会社が何社もありました。

 

地域の期待を一身に背負い、
MRJが初めて飛行したのが2015年11月11日。
この日、私は自分のFacebookに、以下のように投稿しています。

 

「【祝!MRJ 初飛行成功!おもわずもらいガッツポーズ!】

 

今から7年前(2008年)、三菱航空機の工場を見学したとき、
私は「貴社の社風はどのようなものですか?」と質問しました。
すると、こんな答えが返ってきました。

 

『三菱重工は国家と共にある』
『航空機に巨額を投資するよりも
利回りの良いビジネスはあるかもしれないが、
俺達しかいない意識がある』。

 

目に見えて手ごたえが感じられるアウトプットがあることが
彼らの誇りに繋がっているのでしょう。

 

続いて私は「三菱重工のHEROとはどんな人ですか?」と尋ねました。
すると、「『ロケットを飛ばしたのは俺だ』と語る社員が何百人もいる」。

 

この答えに、同社ではプロジェクトに参加した全員が
HEROなのだとわかりました。

 

今日、無事にテストを終え、喜び合う皆さんの姿を報道で見て、
HEROが大勢いることを確認しました。
おめでとう!『俺たちしかない』プライドを持った侍たち!
こっちも思わず「もらいガッツポーズ」をしちゃいました!!」

 

私の上記の投稿に対し、私の友達たちも熱いコメントをくれています。

 

「傍で見ていても目頭が熱くなります!
プロジェクトXそのものです。どんどん夢を実現していってほしい」

 

「私は一日中、緊張してました。
大きなプロジェクトを立ち上げるのは命がけです。
無事成功したことをお喜び申し上げます」

 

「この記事を見てトヨタ自動車をモチーフにした
ドラマ【LEADERS 】を思い出しました」

 

が、あれから8年。
この感激が、現実になることはありませんでした。

 

ただ、このプロジェクトは失敗だったのかどうか。
その判断は分かれるところです
初期の目的が果たせなかったという意味では失敗でしょう。
が、このプロジェクトで培われた技術までもが
失われたわけではありません。

 

例えば太平洋戦争の主役だった零戦は、
開発当初、世界で無敵でした。
米軍では「零戦を見かけたら逃げ出せ」という指示が出たほどです。

 

ところがその後、米軍に研究され尽くされ、欠点が露わになります。
零戦の欠点は、時速650 km 以上のスピードで急降下した時に、
ついて来られないことでした。
また、操縦席と燃料タンクに防弾機能がないことも欠点でした。

 

この欠点を突かれた零戦は、戦うたびに撃墜されます。
そして、わが国は制海権を奪われて戦争に負けました。

 

戦後、GHQ はわが国の航空機産業の一切を禁止しました。
零戦の開発に携わっていた設計者たちは、失業します。

 

主任設計士たった堀越二郎さんは、
「自分は職業の選択を間違えた」と悔やんでいます。
そして自分の子供達には
「戦争を放棄した日本に相応しい、永続性のある
職業に就くことを祈っている」との言葉を残しています。

 

が、零戦の設計に携わった技術者達は
その後様々な分野で自分の技術を開花させます。

 

零戦から発射する機銃の設計に携わっていた
深海正治さんは、オリンパスで、
人類初の内視鏡(胃カメラ)を開発しました。

 

また、翼の設計をしていた糸川英夫さんは、
ロケットを飛ばすことにその技術を応用しました。
33年には国産初のロケットを打ち上げました。

 

さらに、猛スピードゆえに生じる零戦の機体の
振動を抑える設計をしていた松平精さんは、
その技術を、高速走行でも蛇行動しない
新幹線の車体の設計に活かしました。

 

そして堀越二郎さんは、
国産旅客機YS―11の基本設計に携わりました。
子供に願った戦争を放棄した日本に相応しい職業に
自分が就いたわけです。

 

明治の自由民権運動家の板垣退助は、
「板垣死すとも自由は死なず」と、語っています。
それと同じで、携わった製品が失敗したからといって、
技術までもが死ぬわけではありません。

 

赤字続きだったシャープの社員が、
アイリスオーヤマに転職し、
同社をユニークな家電メーカーへと変貌させたのは
よく知られています。

 

また、私のあるクライアントには、
元東芝の社員の技術者が何人もいます。
彼らは、東芝が粉飾決算事件を起こした時に、
取引先である私のクライアントに転職してきたのです。

 

彼らの0を1に変える力には目を見張るものがあります。
社長が思いついたアイデアを、3D プリンタを使って、
あっという間に形にしてしまいます。

 

それをお客様に試作品として提案し,
お客様の意見を聞きながら改良を重ねます。
そして、短時間で新商品として世の中に出してしまうのです。
このスピードが、一流の技術者のチカラです。

 

今、MRJプロジェクトに携わった勇者たちは、
自分の技術の活かしどころを求めて、様々な分野に移っています。
「空飛ぶクルマ」を研究してる人もいれば、
「宇宙関連産業」に軸足を移した人がいます。

 

昨年8月にボーイングの研究開発センタを
愛知に開設することが決まりました。

 

航空業界では2050年までにCO2の排出実質ゼロ
(カーボンニュートラル)の達成を目指しています。
そのための、水素、電動化などによる推進力技術、
ロボティクス、自動化、デジタル化、炭素繊維複合材などの
研究開発を行なわれる予定です。

 

「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。
成功するところまで続ければ、それは成功になる」
と語ったのは松下幸之助です。

 

零戦と同様に、MRJプロジェクトで培われた技術が、
新たなフィールドで、世界をあっと驚かすイノベーションを起こす。

 

そうしたら、MRJは残念な失敗ではなく、
彼らの言葉通り「誇りある挑戦」だったと言えるでしょう。
そんな日が来ることが、今から楽しみです。